評伝( 一) | 評論をまじえた伝記 |
千靱の家は、小杉町の中心部にあり、呉服商を営む父、 |
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與八郎と母、志の次男として生まれました。兄は貴一郎 | |
といいました。少年、千靱がのちに日本画家として大成 | |
するようになった基には、加賀友禅の流れをくむ絵画的 | |
な意匠の呉服を扱う家庭環境にありました。 | |
日々の生活のなかで審美眼を身につけてきた千靱は、お | |
のずから芸術的な感性を養うことになったのです。 | |
また、とくに祖母からかわいが |
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千靱自身は、少年時代を回顧して |
られた千靱は信心深いこの祖母 | 「餓鬼大将だった」と述懐してい | |
から信仰心を培われました。 | ます。下条川は濁った土臭い川で | |
祖母とともに仏壇の前に並んで | したが、「子供の頃には随分いろ | |
読経したり、供養する姿を彼は | んな魚族が群れて釣や手綱などの | |
みごとに絵に描いて、家族を驚 | 遊びに夏の日も、いと短い気がし | |
かせたりしました。 | た。山河豊かな環境で川遊びなど | |
自然とのふれあいは日常的なもの | ||
だった」と、『吾郷日記』に記し | ||
ています。 |
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「少年時代の千靱(与作)は私の祖父とよく戦争ごっこをやっていたそうです。ちょうど日 | ||
清、日露戦争の頃だったのでしょう。千靱がいつも大将で、年下だった祖父や他の子は一平 | ||
卒の役回りだったと聞いています」 | ||
(小杉小学校で千靱の後輩だった高畠氏の孫ー高岡高校教諭・高畠氏回想) | ||
当時の小杉小学校での受け持ちの先生が千靱に合いに来られた時の話ー学校では好きな科目 | ||
は良く出来たが興味のない科目は全く勉強しなかったそうです。(和子証言) | ||
美術エッセースト小笠原洋子 |
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第一回評伝(2004年4月25日発行) |
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