ミニ用語辞典
 

 

第1回「考えよう」2004年4月28日発行
     
     
○官展である帝展   国家が主催する帝国美術展覧会の略。
     
○欄間    天井と鴨居(かもい)との間に、格子や透かし彫りの板などを取り付けた
    部分。採光、通風などの為のもので、装飾を兼ねる。
     
○井波彫刻   (井波彫刻協同組合のサイトより抜粋)
    明徳元年(1390年)本願寺五代綽如上人(しゃくにょしょうにん)は、後
    小松天皇の勅許(ちょっきょ)により井波別院を創設したが、いく度か焼
    失し、そのつど再建された。特に江戸時代中期、瑞泉寺本堂再建の時
    京都本願寺より、御用彫刻師・前川三四郎が派遣され、地元大工・番匠
    屋九代七左衛門ら四人がこれに参加し、前川三四郎について彫刻の
    技法を本格的に習ったのが井波彫刻の始まりである。
    明治時代に入ってから寺院欄間に工夫をこらして新しい住宅用の井波
    欄間の形態が整えられた。
    現在、名工らの子孫によって受け継がれてきた伝統ある「井波彫刻」は
    時代の流れとともに豪華さを誇った寺社彫刻から民家の室内彫刻へと
    多くは移り変わっており、なかでも住宅欄間はその主力となっている。
    昭和22年に井波彫刻協同組合を結成し、昭和50年には通産大臣より
    伝統工芸品の指定を受けた。そして現在では伝統工芸だけでなく、日展
    などへの作家活動も盛んである。
     
     
○里見米庵 略歴   明治31年(1898)  9月15日父、米林房雄・母、コトの次男として富山県射水郡小杉
              町黒河に生まれる。本名、文雄(父は警察官、母は、教師であっ
              た。)
    大正2年(1913)   小杉尋常小学校高等科を卒業。
              上京して鈴木赤城、井沢蘇水らについて日本画の修業をする。
    大正5年(1916)   父親の生家、里見家を嗣ぐ。
    大正7年(1918)   帰郷する。
    大正9年(1920)   国泰寺に入り、佐竹龍水管長のもとで、座禅修行をする。
    大正12年(1923)  京都・嵯峨の天龍寺山内慈済院関精拙師につき修行をする。
              京都絵画専門学校に入学。同時に土田麥僊師の山南塾に
              入門する。
    昭和2年(1927)   同校本科卒業。
    昭和7年(1932)   同校研究科修了。
    昭和9年(1934)   帝展に「嵯峨の秋」が入選。
    昭和11年(1936)  帝展に「行く秋」が入選。
    昭和17年(1942)  再興第29回院展に「海口裏街」が入選。
    昭和20年(1945)  第1回日展に「二月風景」が入選。
    昭和25年(1950)  郷倉千靱に師事するようになる。
    昭和50年(1975)  院展特待となる。
    昭和59年(1984)  これまでに院展入選28回。
              中国全土、東南アジア、インド等を6回取材旅行
              日本美術家連盟会員・京都日本画家協会会員・甲辰会会員
     
     
     
     
     
 
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