和子 評(十) | 評論をまじえた伝記 |
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十 旅立ち |
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春季院展に『富貴花』を発表して外務省に買い上げられた昭和五一年、和子は潮展 | ||
に『茶庭』『いにしえの美』『初春』を、院展に『小春日和』を発表。旦虹会、支 | ||
羽会、生々会、飛鳥会、悠々会、金蘭会、五都展各展に『盛花』『紅梅と壁』『牡 | ||
丹と香合』『ハイドパークの一隅』『瓶花』『白牡丹』を発表しました。 | ||
五二年、春季展に出品した『春―二匹の鯉』は再び外務省に買い上げられます。潮 | ||
展には『長閑』『早春』『夏日』『巳年の春』を発表。父亡きあとは心の支柱を失 | ||
っただけでなく、かつて父の許に集った人々の足も途絶えがちでしたが、和子は精 | ||
神的にも画業の上でも父をのり越えていこうと、新たな旅立ちを決意していまし | ||
た。しかしその年の五月、母蔦子も父を追うように他界します。和子は孤独とも闘 | ||
いながら、ひたすら画面に向かいました。同年『牡丹と獅子頭』を制作。成田空港 | ||
の貴賓室に展示されることになりました。第六二回院展には『初夏』を出品し、第 | ||
一回清潮会に『初夏』を発表するほか、旦虹会、生々会、飛鳥会、金蘭会、五都展 | ||
に、『真夏』『玉椿』『紅梅と壁』『初夏』『おしどり』をそれぞれに出品しまし | ||
た。 | ||
第三三回春季展に『寒牡丹』を発表して、三度外務省に買い上げられた五三年は、 | ||
第六三回院展に『霽』を発表。潮展に『黄牡丹』『寒牡丹』『緋牡丹』『雪中寒牡 | ||
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丹』を出品。第一回世田谷展に『寒牡丹』を、清潮会、旦虹会、生々会、悠々会、 | ||
飛鳥会、金蘭会、五都展には『青カエデと雀』『おしどり』『黄牡丹』『瓶花』 | ||
『緋鯉』『初夏』『寒牡丹』を発表しました。 | ||
このころから色調に変化が現れます。それまでの多彩で鮮やかな画面が消え、モノ | ||
クロームによる写実描写が試みられていきました。 | ||
第三四回春季展に、連続して外務省に買い上げられた『春の梅』を出品した五四年 | ||
は、潮展に『夕陽』『雪の中』『月明り』『小松』『お正月』。六四回院展には | ||
『霧の中から』を発表。松岡美術館に収蔵されたこの作品は、思いきり色調をおさ | ||
えて幻想に挑み、新画境を予感させる作品でした。しかしそれ以降、自分の思うよ | ||
うな表現には至れず、和子は再び行きづまっていったのです。そんななかでも筆を | ||
止めることなく制作にとりくみ、世田谷展に『小松』、清潮会、と旦虹会に『初 | ||
夏』、生々会、悠々会、金蘭会、五都展に、『若松と小雀』、『牡丹と赤絵壺』 | ||
『牡丹』『双鯉』を発表していきます。 | ||
翌五五年、三五回春季展には『待たれる春』、潮展には、世田谷美術館に収蔵された『初 | ||
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秋』および明治座に収蔵された『蘭花』と『初夏』『秋燿』『春日』、六五回院展には大分市に | ||
買い上げられた『夕焼けとうさぎ』、世田谷展には『春望』を出品。第一回現代女流美術展 | ||
に『霧の中から』、清潮会に『桔梗』、旦虹会に『牡丹とペルシャ壺』。悠々会、金蘭会、五都 | ||
展には、『牡丹とつぼ』『玉椿と小杉焼瓶』『仔兎』を出品。 その一二月には台湾へと旅立 | ||
ち、中国美術を見聞しました。 | ||
当時の動向は、【アートグラビア】(一二月一日発行)女流画家シリーズD「郷倉 | ||
和子の世界―花鳥に`生、を映す」文・吉村貞司や、北日本新聞(一一月二三日)な | ||
どで紹介されました。 | ||
美術エッセースト小笠原洋子 |
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第十回評伝(2009年 2月16日発行) |
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