和子 評伝(十一) | 評論をまじえた伝記 |
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十一 苦節を超えて |
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昭和五六(1981)年、三六回春季院展に『草原』を出品し、一三回潮展に『真夏日』 | ||
『薫春』『春望A』『春望B』『春望C』を出品した和子は、同年五月に日本美術院評 | ||
議委員になりました。六六回院展には『霽ゆく』を発表。この作品は、父千靱の故郷 | ||
富山県小杉町の役場が所蔵しています。同年、四回世田谷展に『瓶花』、二回現代女 | ||
流美術展に『真夏日』(同年潮展出品作)、女流美術展の初回展に『秋韻』、五回清 | ||
潮会に『親子』、九回旦虹会に『麗日』、一七回飛鳥会に『ペルシャ壺と蘭』、一七 | ||
回悠々会に『赤い椿』、二二回金蘭会に『白百合と赤絵壺』、三〇回五都展に『カト | ||
レアとつぼ』など次々と出品した和子は、一二月にタイ旅行に赴きました。日本美術 | ||
について考えあぐねていた日々、寺院や美術館でアジアの文化に触れながら、東洋画 | ||
とは? 日本画とは? という問いかけに懸命に答えようとする旅でした。 | ||
三七回春季院展に『薫風』を発表した五七年、一四回潮展に『暁』『春陽』『茶韻 | ||
A』『茶韻B』『茶韻C』『瓶花』を出品。六七回院展には『明け方の高原』(佐久 | ||
市近代美術館所蔵)を発表。朽木に絡む陰影に妖艶な息吹が交差するような風景に、 | ||
自らの思いが託されたような労作でした。つづいて五回世田谷展に『茶韻』、三回現 | ||
代女流美術展には『春陽』(同年潮展出品)、二回女流美術展に『香』、六回清潮会 | ||
に『茶韻』、一〇回旦虹会に『爽涼』、一八回悠々会に『春陽』、三一回五都展に | ||
『薫春』を出品。このころの和子の活動は、【経済ジャーナル】(二月一日発行)の | ||
「美術往来」や、【北日本新聞(三月九日)】の〈とやま人物風土記〉に「‘花鳥 | ||
画,ひとすじ」として紹介されました。 | ||
三八回春院展に『薫春』を発表して外務省買い上げられた五八年、一五回潮展には | ||
富山県立近代美術館に収蔵された『熱国の湖畔』初め、『早秋』『春到』『薫春』 | ||
『爽涼』を出品。六八回院展には『秋風』を発表し真宗大谷派城瑞別院善徳寺に収蔵 | ||
されました。六回世田谷展に『薫春』、四回現代女流美術展に『熱国の湖畔』(共に | ||
同年潮展出品作)。三回女流美術展に『熱帯国の花と鳥』を出品。同年の四月には、 | ||
富山県立近代美術館が主催する、富山を描く100人100景展に『獅子頭と水島柿』を出 | ||
品。この作品は同館に収蔵されました。七回清潮会に『菖蒲と青竹かご』、一九回飛 | ||
鳥会に『君子蘭』、一九回悠々会に『寒牡丹』、二四回金蘭会に『桔梗と青竹かご』 | ||
、三二回五都展に『蘭』を出品しました。 | ||
制作への迷い多いこの苦節の時代に、和子が新たな画境を拓いたのは、三九回春季 | ||
展に『初秋』を発表した五九年ころからでした。六九回院展に発表した『閑庭』に | ||
は、内閣総理大臣賞が授与されました。丸い石、四角の壁、曲線の萩による白の立体 | ||
構成を試みながら、竹垣の清冽な線を、鮮やかな緑の背景に配して、日本画の自然描 | ||
写に合致させたこの作品は、世田谷美術館に収蔵されています。【アートトップ】 | ||
(十月一日発行)で和子は光悦寺の巧みな竹組みに魅せられた思い出を語っていま | ||
す。 | ||
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美術エッセースト小笠原洋子 |
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第十一回評伝(2009年 5月16日発行) |
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