| 和子 評伝(十三) | 評論をまじえた伝記 |
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一三 梅にとり組む |
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| 一途に梅ととり組むようになったころ、和子は先輩の小倉遊亀から、一つの対象に | ||
| 興味をもつと思いがけない発見があること、背景や画材を変えながら同じテーマを追 | ||
| 求することは制作上の発展につながることを諭されました。平成二(一九九〇)年、 | ||
| 九回女流展に『紅白梅』、四五回春季院展に『薄紅梅』を発表。七四回院展に発表し | ||
| た『静日』は日本芸術院・恩賜賞受賞しました。五回現美展に『静日』、花と緑の博 | ||
| 覧会に『春律』、七五回院展に『陽だまり』、五回燦光会に『紅梅』、六回龍生会に | ||
| 『明月』、一四回清潮会に『春望』、一一回現代女流画展に『薄紅梅』を出品しまし | ||
| た。【光彩】(初夏号)には、和子の芸術院・恩賜賞受賞作品が紹介されています。 | ||
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平成三年、一〇回女流展に『厳寒に咲く』を出品。この作品は富山県小杉町に収蔵 |
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| されました。四六回春季院展に『早春』、同人展に『青軸白梅』を出品。五月には日 | ||
| 本美術院監事になりました。六回現美展に『春信』を発表。 | ||
| 日本秀作美術展には『陽だまり』(七五回院展出品作)が選ばれ、これを出品しまし | ||
| た。 | ||
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| 七六回院展に『薄日』を発表。本作は富山県水墨美術館に収められました。六回燦光 | ||
| 会に『薄紅梅』、一九回旦虹会に『紅梅』、一二回現代女流画展に『早春』。これら | ||
| 一連の梅を主題にした制作のなかで、和子は師安田靫彦に教えられた「自然をよく見 | ||
| 、写生をよくしなさい」という言葉の重さを感じていました。 | ||
| 【わかさ】(二月発行)には、心で見る絵:谷口清が、【夕刊さきがけ】(四月二〇 | ||
| 日)には、美の意匠A『早春』郷倉和子:塩出英雄が掲載されました。 | ||
| 平成四年、四七回春季院展に『春韻』、三月には有楽町アートフォーラムで、朝日 | ||
| 新聞社主催による個展「郷倉和子―花の詩、四季のうつろい」展が開催され、『早暁 | ||
| 春色』ほか三六点を出品しました。【新美術新聞社】(三月一一日)では「郷倉和子 | ||
| 展」が掲載されました。 | ||
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| 四月には富山県立近代美術館で「郷倉千靱・和子展」が開催され、千靱の郷里におけ | ||
| る記念すべき父子展となりました。七七回院展に『縹渺』(大分市美術館)を発表 | ||
| し、和子はこの年勲四等宝冠章受章に輝きました。一三回現代女流画展には『春韻』 | ||
| を発表しています。 | ||
| 平成五年、女流画展に『紅白梅と茶釜』、四八回春季院展に『好望』、七八回院展 | ||
| に『香』を出品。このころ松島瑞巌寺の建造物や紅梅臥龍梅に心惹かれ、幾度もこの | ||
| 地を訪れました。「誰もが感じる美しさを描くのは非常に難しい」と和子自身は述懐 | ||
| しています。またこの年は宮内庁から依頼を受けて「てっせんの花々」を描き、一四 | ||
| 回現代女流展には『好望』を出品しました。 | ||
| 平成六年、女流画展に『梅香る』、四九回春季院展に『寒に咲く』を発表。この | ||
| 年、日本美術院理事になりました。このころ埼玉県吉野の梅郷の景観に感動した和子 | ||
| は、梅林を通して見える町や山波を描くために風景画に挑戦し、七九回院展『梅郷明 | ||
| ける』を出品ました。一五回現代女流展には『寒に咲く』を出品しています。 | ||
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美術エッセースト小笠原洋子 |
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第十三回評伝(2009年 11月16日発行) |
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