和子 評伝(十五) | 評論をまじえた伝記 |
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一五 自然に学ぶ |
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第八四回院展に『飛鳥の里』を発表した平成一一年、和子は五四回春季院展および | ||
二〇回日本の美・現代女流美術展に、『飛鳥路の春』を出品しました。 | ||
平成一二年には、「郷倉和子展 梅花の調べ」を東京・横浜・大阪・京都へと巡回し、 | ||
富山では千靱との親子展を開催しました。その折和子は、自然からモダニズムへと移行 | ||
した父に対し、自分はモダニズムから自然へ回帰しているようだと感じました。 | ||
同年五五回春季院展に『古里の梅(明日香)』を、八五回院展に『春日蜿々(紅梅)』 | ||
(富山県水墨美術館蔵)を出品。「郷倉和子作品集―梅花の調べ」を刊行しました。 | ||
北日本新聞朝刊一月一三日には「梅と語らい描く」として近況が掲載されています。 | ||
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平成一三年は、湯河原ゆかりの美術館と伊香保保科美術館で「郷倉和子展 梅花の調 | ||
べ」を開催されました。五六回春季院展には『梅林に語らふ』を出品しました。八六回 | ||
院展に『春日蜿々(白梅)』を発表。「渋谷区制七〇周年記念友好都市ゆかりの美術 | ||
展」には、『薫春』『厳寒に咲く』などを出品しました。毎日新聞朝刊一月二八日に、 | ||
転機の一点として『暮色白梅』が紹介されています。 | ||
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平成一四年は、五七回春季院展に『梅見日和』。日本秀作美術展では『春日蜿々(白 | ||
梅)』が選ばれて出品。八七回院展には、『春輝』で線描の魅力を表現しました。「多 | ||
彩な響き―大村コレクションにみる女子美卒業生展」(女子美アートミュージアム)に | ||
は『寒空に咲きそむ』『春響』『菖蒲』が展示されました。この秋は文化功労章者とし | ||
て顕彰されたのです。また富山県小杉町(現射水市)名誉町民にもなり、小杉町(現射 | ||
水市)では名誉町民推挙式が行われました。和子は、これからも自然から学び精進を忘 | ||
れず、作家魂を燃やし続けてゆきたいと抱負を語っています。北日本新聞朝刊三月一八 | ||
日には「名誉町民に郷倉和子氏」および『春日蜿々(梅)』が、富山新聞朝刊一〇月二 | ||
五日には『真昼』が掲載されました。 | ||
五八回春季院展に『春が来た』、八八回院展に『晨春にさえづる』を発表した平成 | ||
一五年、文化功労者顕彰記念「梅花の調べ―郷倉和子展」を北澤美術館および成川美術 | ||
館で開催。この年女子美術大学名誉博士の称号を授与。北日本新聞文化賞も受賞しまし | ||
た。朝日新聞朝刊三月四日や、毎日新聞朝刊三月五日の「梅花の美堪能」でとりあげら | ||
れ、北日本新聞朝刊二月二四日では『古木に出た紅梅の芽』、北日本新聞朝刊三月三日 | ||
では『厳寒に咲く』、北日本新聞朝刊三月一七日では『春輝』が紙上に載りました。北 | ||
日本新聞朝刊四月五日で「小杉町(現射水市)出身・郷倉和子さん親子の日本画」が、 | ||
富山新聞や中日新聞四月六日で和子の制作活動が掲載されたほか、北日本新聞一〇月 | ||
二〇日朝刊では、北日本新聞賞決定が伝えられました。 | ||
九〇歳を迎えた平成一六年は、「梅花の調べ―郷倉和子展」を日本橋高島屋で開 | ||
催。同年五九回春院展に『春に遊ぶ』を出品し、「鎌倉大谷記念館の開館七周年記念展 | ||
「花逍遥」―花鳥風月に遊ぶ―」には、『春光』『白梅』『香』『梅林に語らふ』が展 | ||
示されました。 | ||
美術エッセースト小笠原洋子 |
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第十五回評伝(2010年 5月16日発行) |
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