和子 評伝(十七)   評論をまじえた伝記


     
   

一七 宙のかがやきへ

和子はやがて足の不調から外出を控えるようになり、アトリエでの創作活動に没頭する日々になりました。しかし自らの個展には出向かなくとも、晩年まで院展の審査や芸術院の会合には積極的に出席して、責任感の強さを貫きました。

平成二二年、衰えを知らない制作意欲で、第六五回春の院展に『花の精(四)』と、第九五回院展に『春に舞ふ』を描きあげた和子は、翌二三年には『花の精(五)』を第六六回春の院展に、『薫春踊兎』を第九六回院展に出品するなど、希望に満ちたテーマを描いて、人生の春への憧れを最後まで絵筆にこめました。

第67回春の院展「花の精(五)」

 

 

平成二四年、第六七回春の院展に『春へ』を、第九七回院展には『春の瞬き』を出品。翌二五年、九九歳になった和子は、第六八回春の院展に『朧々』を、第九八回院展には『空へ』を制作し、心の視点を空へと高めていきました。なおこの年の誕生月である一一月には、白寿を祝って企画された「白寿記念郷倉和子―心の調べ」が富山県立近代美術館で開催されました。また高岡大和では、新作小品展として「白寿記念 郷倉和子展―心の調べ」が開催され祝賀展に涌きかえりました。 

翌二六年、いよいよ一〇〇歳を迎えた和子は、第六九回春の院展に『宙と共に』、第九九回院展に同タイトルの『宙と共に』という、一〇〇歳にふさわしい壮大なテーマの世界観を表現して出品したのです。同年、日本橋三越本店では「郷倉和子 白壽記念展―白壽の梅」が盛大に催されました。

平成二七年には、第七〇回春の院展に『宙と共に』を出品。香雪美術館では「白寿の梅展」が開催されました。第九九回院展には『宙と共に』を出品し、母校女子美術大学においては、「郷倉和子展 女子美スピリッツ2015」が、ガレリアニケにて執り行われ、多くの祝福につつまれました。

そして翌二八年、和子は第七一回春の院展に『宙のかがやき』という、自らの集大成ともいえる作品を描ききった後、四月十二日心不全で永眠したのです。八〇年にわたる栄えある画業の功績として、正四位に叙され勲旭日重光章が当日授与されました。

第71回春の院展「宙のかがやき」

和子は最晩年まで、残された歳月の自身のありようや創作について、あくまでも自分の考えに従って生き抜きました。また生活を共にした家族には、一〇〇年におよぶ生涯や、八〇年の画業についてとつとつと話したりしました。その言葉をもとに子息伸人氏が母について著した「気ままな品格」(幻冬舎)も出版されています。

平成二九年には、追悼展として「郷倉和子80年のあゆみ」(四月二一日〜六月二五日)が郷里射水市の新湊博物館にて開催され、滑川市立博物館でも追悼展「郷倉和子梅花から悠久なる者との対話へ」(四月二九日〜五月二八日)が催されました。なお三〇年(五月三日〜六月一〇日)には、佐久市における「開館七周年記念 佐久市立近代美術コレクション+現代日本画へよこそ」および佐藤志津没後100年記念として「女子美術大学と佐藤志津」展(七月七日〜八月一二日)など出品を重ねています。

美術エッセースト小笠原洋子

第十七回評伝(2024年 10月10日発行)

 

 

 









 

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