| 和子 評伝(五) | 評論をまじえた伝記 |
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| 五 大観賞と日本美術院同人推挙 | ||
| 昭和三二年三月、第一二回小品展に和子が発表した『夕映え』は、試作賞を受 | ||
| 賞しました。同年中央公論新人展の第一回展でも入選。そして九月、第四二回院 | ||
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| 展に出品した『真昼』には、日本美術院賞・大観賞が授与されました。前年作の | ||
| 『菊』や試作賞の『夕映え』など、昭和三〇年ころから高まりをみせていった力 | ||
| 強い表現は、『真昼』の鮮やかな色彩と、図案化された構成によって最高潮に達 | ||
| し、内面から溢れるものが結晶しています。院展ばかりでなく日本画に新しい局 | ||
| 面をきりひらいたこの力作は、現在富山県立美術館に収蔵され、県ゆかりの画家 | ||
| による代表作として観る者を魅了します。和子自身、この『真昼』を好きな自作 | ||
| 品のひとつに挙げています。 | ||
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| 翌年三月、第一三回小品展では『初秋』が入選。対象物を通して、いっそう自 | ||
| らの内側に迫る描写力で、再び試作賞が授与されました。九月四三回院展『夕 | ||
| 陽』は佳作で入選。妖艶さも加味された労作であり、白寿賞を受賞しました。 | ||
| このころ師の安田靫彦は体調が優れず、火曜会は全員での研究会ではなく、数人 | ||
| づつの指導に変わっていきます。安田から「あなたの絵は独特だから自分の好き | ||
| なようにやりなさい」と励まされ、和子はその志を固めます。三四年三月、小品 | ||
| 展から改組改名された第一四回春季展に、和子は『晩秋』を出品して入選。大胆 | ||
| な構図のなかにも落ち着いた季節感の表わされた作品で、奨励賞を受賞。同年九 | ||
| 月の四四回院展では、明快なモダニズムが生かされた『夕映』が、奨励賞・白寿 | ||
| 賞を受けるなど受賞はつづきました。第八回五都展には『けし』を出品。朝日新 | ||
| 聞社主催の秀作展には招待出品を果たしています。 | ||
| 三五年三月第一五回春季展『菜園』が入選。三たび奨励賞・白寿賞を受けまし | ||
| た。そして九月、第四五回院展『花苑』は、再度日本美術院賞・大観賞に耀きま | ||
| した。豊かな世界観が大らかに表現された四曲半双の大作でした。 | ||
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| 新しい花鳥画を求めて独自の絵に到達したいという和子の一念は、賞へのプレ | ||
| ッシャーをはねのけ、このように六年間連続の春秋院展受賞に結びついていった | ||
| のです。しかしその間の苦闘もまた大きなものでした。絶頂期のなかでさえ和子 | ||
| は、半具象絵画における現実と幻想の表現に葛藤することもありました。その後 | ||
| も描写への模索は、人知れずつづきますが、幾多の昏迷を切り抜けたのは、なに | ||
| よりも強い意志によるものでした。画家和子が父から受継いだものは、デフォル | ||
| メされた画面でも崩れることのなかった画風上の品位であり、絵画の才能でした | ||
| が、北陸の風土を血の流れにもつ、諦めることのない粘り強い性状でもあったの | ||
| です。 | ||
| その結果和子は昭和三五年九月三日に、いよいよ日本美術院同人に推挙されま | ||
| した。四六歳にして、福王子法林、須田瑛中らとともに手にした栄誉でした。 | ||
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美術エッセースト小笠原洋子 |
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第五回評伝(2007年 11月16日発行) |
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