和子 評伝(六)   評論をまじえた伝記
 

 

 
     
  六、インドへ  
     
   昭和三六(一九六一)年の四月、仏教壁画を制作するにあたり、仏教発祥の地  
  を取材することになった父千靱に随行して、和子はインドへと旅立ちました。  
  二人は、香港・シンガポールを経由してインドに入国。ニューデリー、ボンベ  
  イ、カルカッタ、アジャンタを二ヶ月かけて周りながら、見聞を広めました。  
   このころの和子の作品は、花鳥のモチーフだけで画面を構成するという、思い  
  切った形と強い色調とで表されるようになりますが、きっかけとなったのがこの  
  旅行でした。「熱国のギラギラした太陽、陽炎の立つような熱気の中で、色調の  
  強い、形態化省略化された強い絵を描こう」と和子は考えます。旅の強烈な印象  
  を作品に活かさなければ、もったいないと思ったのでした。帰国後の九月、第四  
  六回院展に出品した『熱国の幻想』は、旅の最初の成果でした。  
   この年の第一回翌桧会には『鉄線花』、第一回金蘭会には『紅芙蓉』、第二回  
  丹曜会には『茶碗』をつづいて出品。軌道にのった和子は上野松坂屋にて初個展  
  を開き、ここで『茶碗』『熱国鮮果』『春日』『白日の山』『仔犬』『印度の  
  花』などを発表しました。  
   和子のそうした前向きな姿勢は画面のうえにも反映し、昭和三七年三月、第一  
  七回春季展に出品した『気ままな小鳥』の斬新な構成からもうかがうことができ  
  ます。  
 


「きままな小鳥」第17回春季展

 
     
  九月の第四七回院展には、連作『熱国の幻想』、第二回翌桧会には『バラ』、第  
  二回金蘭会には『インド人形』と『松茸』、第三回丹曜会には『初秋』、第一一  
  回五都展には『盛花』を出品しました。いずれも主張性と気迫に満ちた作風です  
  。太平陽介氏はこの年の「新日本美術」(六月一五日)に「郷倉和子女史の強靭  
  性」と題して紹介しています。和子自身も、翌年四月に発行された〈文芸朝日〉  
  に「非常に自由に自分の思うままの絵を誰にも束縛されず思いっきり描けたこと  
  に幸せを感じた」と心情を吐露しています。  
   昭和三八年三月、第一八回春季展に『印度の花』を出品した和子は、九月、第  
  四八回院展に『楽園』を出品。富山県立美術館に収められたこの作品は、絵画の  
  革新に迫ろうとする思いがこめられた一点といえましょう。  
     
 


「楽園」第48院展

 
     
  同年、第三回翌檜会には『桔梗』、第三回金欄蘭会には『バラ』、第四回丹曜会  
  には『静物』、第一二回五都展には『蘭花』を出品しました。  
   こうした和子の活躍ぶりを、各誌は競うように世間に報じましたが、〈睦月三  
  〇八号 郷倉千靱大壁画記念号〉では、和子も「七〇歳でインド写生行」とし  
  て、父との長期インド旅行を報告しています。  
 

美術エッセースト小笠原洋子

 
 

第六回評伝(2008年 2月16日発行)

 
     
     
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