和子 評(七)   評論をまじえた伝記
 

 

 
     
 

七、成長と迷い

 
     
   昭和三九(一九六四)年三月、和子は第一九回春季展に『麦秋』を、九月の第  
  四九回院展に『小鳥の巣箱』を出品しました。このころの日本画は、伝統を破る  
  革新的な表現法が盛んに試みられ、その追い風にのった和子は、絵画的成長を自  
  覚しながら、自分にしか描けない画境に達した悦びを感じていました。東京でオ  
  リンピックが開催されたこの年、第四回翌桧会には『蘭花』、第四回および五回  
  金蘭会には『ころ柿』『芽』と『カーネーション』『静物』。第五回丹曜会には  
  『黄牡丹と壷』、第一三回五都会には『芍薬』を発表しました。翌年第二〇回春  
  季展には、明るい色調のなかに神秘的な静謐感がただよう『白夢』を、第五〇回  
     
 


「白 夢」第二十回春季展

 
     
  院展には『月明』を出品。第一回飛鳥会、第一回悠々会、第六回金蘭会、第一四  
  回五都会のそれぞれに『蘭花』、『静物』、『茶碗と椿』『水仙』、『花菖蒲』  
  を出品し、第六回丹曜会には父千靱の郷里富山県小杉に伝わる焼物をモチーフに  
  『菊と小杉焼』を描きあげました。    
   第二一回春季展に『地』、第五一回院展に『森の饗宴』を描いた四二年、第二  
  回飛鳥会に『麓』、第二回悠々会に『朝鮮芙蓉とペルシャ壷』を出品。第七回金  
  蘭会に『牡丹』、第七回丹曜会に『鉄線花』、第一五回五都会に『梅』を発表し  
  ます。また雑誌「雲友」八月号(八月二五日発行)には表紙絵として『芙蓉』を  
  描き、解説も添えました。当時和子の活動の様は、九月二五日発行日本経済新聞  
  の「動物と写生 郷倉和子」や、十月一七日発行読売新聞の「いまや院展の中  
  堅」として報道されました。このころ和子は、無意識のうちに、自分の絵が半具  
  象から幻想絵画に変わっていることを感じとります。そして次第に幻想絵画へと  
  傾斜していく画風に迷いを感じ、これと闘っていました。  
   四二年の第二二回春季展に『一遇』、第五二回院展に『麗』、第一回春椙会に  
  『鉄線花』、第三回飛鳥会に『水仙』、第三回悠々会に『蘭花と志野壷』を発  
  表。作風は幻想絵画とそれに対する問いかけがせめぎあう形で表現され、第八回  
  金蘭会に『君子蘭とペルシャ壷』、第八回丹曜会に『豊熟』、第一六回五都会に  
  『紅葉とリス』などを発表していきました。  
   こうしたなかで第二三回春季展に『春陽』を発表したあとの四三年、第五三回  
  院展に出品した『満月』は、色調の鮮やかさと迫力あるファルムによって、溢れ  
  る情念が妖艶さとなって結集された労作でした。  
     
 


「満 月」第五十三回院展

 
     
  つづいて第二回春椙会、第四回飛鳥会、第四回悠々会、第九回金蘭会、第九回丹  
  曜会、第一七回五都会に、『蘭花と金襴手』、『白牡丹』、『菊と金襴手』、  
  『紅蘭と四角志野鉢』、『シベリジュウムと赤絵壷』、『春光』を発表します  
  が、次第に和子は幻想絵画をつきつめた結果として、抽象的性格が強くなりすぎ  
  たことに気づき、新たに現実と幻想を組み合わせた半具象絵画を試みるようにな  
  ります。人知れず暗中模索に暮れ、苦闘する日々でした。  
     
     
 

美術エッセースト小笠原洋子

 
 

第七回評伝(2008年 5月16日発行)

 
     
     
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