和子 評(九) | 評論をまじえた伝記 |
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九、父の死と、あらたな苦闘 |
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昭和四八(一九七三)年、和子は第二八回春季院展に『月明の中の小鹿』を発表。この | ||
作品は山形美術館に収蔵されました。つづいて第五回潮展に『暁の臥龍松』『茶碗』『鹿三 | ||
題・愁』『鹿三題・瞬』『鹿三題・双』を、第五八回院展に『月明』を発表します。 | ||
この年の一〇月、和子は一ヶ月かけてヨーロッパを巡り、イギリス、フランス、オランダ各地 | ||
の美術館で名画に接し、見聞を広めました。帰国後も、第一回旦虹会に『花』、第五回 | ||
生々会に『春望』、第九回飛鳥会に『花と茶碗』、第九回悠々会に『巣立ったばか | ||
りの雛鳥』、第一四回金蘭会に『静物』、一四回丹曜会に『蘭と茶碗』、二二回五 | ||
都展に『親子鳩』を出品しました。 | ||
翌四九年は、第二九回春季院展に『花と獅子頭』、六回潮展に『双―獅子頭』 | ||
『秋色』『秋陽』『紅梅と獅子頭』『春光』。第五九回院展には『リスと芽葺』、 | ||
第二回飛鳥会に『清興』、第一〇回悠々会に『花と茶碗』、第一五回金蘭会に『春 | ||
望』、二三回五都展に『花と茶碗』を出品。当時の和子の制作動向は、雑誌【V | ||
ision】(八月一日発行)の「郷倉千靱・和子父娘」、【形象】(四月一日発行)の | ||
アトリエ訪問「郷倉和子さん」中野哲治筆、【東京本願寺報5月10日号】「画心 | ||
を語る」などで紹介されました。 | ||
第三〇回春季院展に『塀と梅』、七回潮展に『花と壁』『麗』『芽』『春風』 | ||
『初夏』『秋―紅葉と鯉』『冬―雪の中』、六〇回院展に『春暉』を発表し、変わ | ||
らぬ活躍をみせていた昭和五〇年一〇月のこと、和子は父を亡くしました。 | ||
院展を率い、多くの画家を育てた父千靱は、和子の作品には最後まで批評するこ | ||
とはありませんでした。和子にはその意味がわかりませんでしたが、存在の大きさ | ||
は、失ったあとの悲しみに浸る間もなく和子の現実を揺るがしました。 | ||
世間ではとかく千靱和子父子を組み合わせて見る向きがあり、和子の作品は、当然 | ||
のように千靱と一組にして同等に評価されがちでした。しかし制作上の混迷から脱 | ||
していないことを自覚していた和子にとって、父の死は、葛藤する画面のまま一人 | ||
で評価の矢面に立たされることを意味したのです。あらたな現実との対峙のなかで | ||
和子は、もう一度学生時代のスケッチに立ち返り、図案化することや絵造ることを | ||
問い直し、プロの画家のありように応えようとしました。それを支えたのは、つね | ||
に前進しようとする和子の精神の、不屈の姿勢でした。 | ||
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この年、第三回旦虹会に『初夏』、四回支羽会に『鯉』、七回生々会に『初春』、 | ||
一一回悠々会に『牡丹と獅子頭』、一六回金蘭会に『菊』、二四回五都展に『麗 | ||
日』を発表。その動向は【日本美術】(四月一日発行)の「作家訪問」や【東京展 | ||
望(一一月一五日発行)の「春暉」から読みとれます。 | ||
美術エッセースト小笠原洋子 |
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第九回評伝(2008年 11月16日発行) |
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