| 郷倉和子の現況 第23回 |
| 正月を迎えた和子は例年になくご機嫌だったように思えます。毎年いただくお節料理 |
| も量こそ減ってしまいましたがその分、目で料理を楽しんでいたように思いました。 |
| 幼少の頃から食べ慣れた食材はやはり美味しいようです。お餅を喉に引っかけないよう |
| にゆっくり食べている和子の姿が印象的でした。孫やひ孫に囲まれた和子は幸せそうで |
| した。 |
| 松が取れた頃には出品画制作の続きに入りました。寒の入り、大寒、寒明けと寒さの |
| 続く中、地味な仕事が続きます。集中力が続かなく、良く休憩を取る和子は「薄笑いを |
| しながら 仕方ない。」とつぶやいていました。そんな折、紅梅と白梅を壺に入れて画 |
| 室に持って行くととても喜び、「今年の梅花はあまり元気がないね。」(和子証言)確 |
| かに今年は暖寒が交互に来たため花びらに勢いが感じられませんでした。 |
| 3月に入り、春の日差しなのに気温上がらず未だに寒い日が続き 古い日本家屋ですき |
| ま風のためか、外より部屋ほうが寒いからたまらない。和子は凄まじい形相で作品と対 |
| 峙し、作品を描く時は全エネルギーを絞り出しているかのように見えました。思わず |
| 「止めてくれ そんなにまでして描かなくても!!」(伸人証言) 和子は何も言わな |
| い。これは何か異常だと感じた。3月中旬、作品を額屋さんに渡した和子はかなり疲労 |
| していたようです。「この夏の出品画が描けない!!」とか「あんたは、仕事があって |
| いいね!!」(和子証言)とか。 普段あまりぼやきのない和子だがどうしたのだろう |
| 。それでもお抹茶と甘いものの時はご機嫌でした。 |
![]() 第七十一回春の院展「宙のかがやき」 |
| 4月はじめ、筆者が院展を拝見し、図録を購入、和子に見せると大変喜んでいました |
| が、すぐに見ず翌日になって見ていたようです。 翌日、いつもの和子より元気でシャ |
| ンとして何か厳しい表情をしているように感じられました。3日もかけて院展の図録に |
| 目を通した和子は毎晩、疲労困憊で就寝していました。「こんな事は今までにない!!」 |
| (伸人証言) |
| 4月8日のことでした。午前中画室で絵筆を持ち小品の富士を描いていました。昼食 |
| 後和子は「気持ちが悪い」と言い出したので熱を測ったところ7度8分、すぐに主治医 |
| に来ていただきました。誤嚥性の肺炎ではないかとの診断で解熱剤と抗生物質をいただ |
| きました。そこから事態は刻々変化し手の施しようもなく四日後自宅にて永眠してしま |
| いました。桜の満開な時に倒れ桜吹雪とともに命を散らしてしまった和子はいかにも |
| 郷倉和子らしい最後の有り様だったように思えてなりません。 |
| 生前、口癖のように言っていた「良い季節に花に囲まれて死にたいものだ。」(和子 |
| 証言)がその通りになったように感じます。和子は亡くなる直前まで耳元で話せば首を |
| 縦や横に振って意志表示をしました。最後は目を見開き空に向かって舞い上がっていく |
| ように感じられました。 |
| 非常に穏やかな最後でした。101才と五ヶ月の人生でした。 |
| 故人の遺志を尊重し14日に通夜、 15日に告別式を近親者のみで密葬にしました。 |
| 故郷倉和子は高齢者でしたので公のお別れ会もご遠慮させていただきました。それでも |
| 多くの弔問者がお訪ね頂きこの場を借りて御礼申し上げます。 |
| 五月二十九日長源寺にて納骨が行われました。 |
| 平成28年4月12日 正四位に叙される。 |
| 旭日重光章を授与される。 |
![]() 平成16年4月14・15日 通夜・告別式が自宅で行われた。 |
| 第23回 2016年6月5日発行 |