| 初代小杉焼−郷土の文化的誇り としての“小杉焼” | 
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       初代小杉焼き陶片部分  | 
  
| 「小杉焼の姿・形には、懐かしい射水郡小杉町の風土が息づいています。特に、小杉焼を | 
| 代表する鴨徳利。射水郡には池が多く、そこにたくさんの鴨が群れています。私のような | 
| 土地の者が鴨徳利を見ていると、鴨が池に浮かんでいる、射水郡独特の情景が目に浮かん | 
| でくるんです」と、越中小杉焼友の会の代表、松本外与次さんは言う。 | 
| 江戸後期に隆盛を迎えながら、明治期に消滅した小杉焼の再評価は昭和初期、郷倉千靭 | 
| と地元文化人による小杉焼研究会に始まる。今日の越中小杉焼友の会もその流れを受け継 | 
| いで、郷土の誇るべき文化財として、小杉焼を調査、研究する地元有志のグループ。松本 | 
| さんは“小杉焼”とそれに関ってきた地元の文化人の姿を通して、日々風化しつつある、 | 
| 小杉町の文化風土としての再検証を試みている。 | 
| 「小杉焼研究会が立ち上がったのは、昭和9年のことで、発足会や窯跡調査の記録が、 | 
| 一冊の写真帖として残っています。それを見ると当時の小杉町の文化人と言われる人々が | 
| 、“小杉焼”というものに、 自分達の文化的アイデンティティを見出し、それを将来に | 
| 繋げていこうとする意欲と使命感が漲っているようです。 | 
| 昭和初期には、未だ小杉焼が生活の中で用いられており、小杉の人々にとっても親しみ | 
| 深いものだった。さらに、旧窯跡をはじめ様々な資料も多数残り、老田久五郎老という関 | 
| 係者も存命で、小杉焼を郷土の文化財として見直し、歴史的に検証するラストチャンスで | 
| もあった。そうして、小杉町に生まれ育ち、東京で活躍していた日本画家の郷倉千靭とと | 
| もに、地元の文化人達も小杉焼に注目し、その研究、調査に立ち上がる。 | 
| 例えば、同研究会またの参加メンバーの一人、“片口東江”こと片口 安太郎(1872〜 | 
| 1967)は、小杉町長、富山県議会議長を歴任した政治家であるとともに、初代の小杉町立 | 
| 図書館長等を勤め、地域の教育・文化の振興に貢献した人物。また、高道勇作(1904〜 | 
| 71)は、元北日本新聞社の記者で、“夕咲人”なる俳号をもつ俳人。さらには彫刻、写真 | 
| 、創作ドラマにも手を染めた、才人。そういった、当時小杉町のオピニオン・リーダー達 | 
| の郷里への愛着と誇りが、失われた生活の歴史としての“小杉焼”に集約され、それが文 | 
| 化的象徴として復活させたと言うことが出来る。 | 
| 「鴨徳利は、かつて鴨猟師達が冬場の狩の合間に、焚き火で暖を取り、酒を燗する時に | 
| 用いたもの。胴の部分が横になり、次ぎ口が鴨の首のように伸びている形は、酒を入れて | 
| 、そのまま焚き火に突っ込めるし、船の上でも安定して倒れない。まさに射水小杉の風土 | 
| が生んだものです」 | 
| 松本さんは、小杉焼が郷土の生活・文化風土の象徴であると繰り返して話した。 | 
| (藤田一人・美術ジャーナリスト) |