天心と赤倉 U |
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(前略)小生十日程前、制作を完成のため当地に滞在中にて、この二十七日(八月)より |
院の審査が始まりますので帰京します。さて例の「天心と赤倉」の原稿は今春以来忙がしか |
つたためについ遅引いたしました。今度の滞在中に書きあげたのをお送りいたします。 |
新赤倉にて 千靭 |
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恒年のごとく一年の半をボストン美術館に過し、その後半を祖国に起居したり或は欧州方 |
面や、印度、支那の旅行などで寧日なく安閑として病痾の摂養につとむる暇がなかった。そ |
うしてボストンより帰朝した最後の大正二年、その二、三年前から岡倉家には家庭的な悩み |
があった、それは令息一雄と水科孝子がひそかに結ばれた恋愛問題であり、この二人の間に |
いつしか初孫古志郎まで生れていたのである。 |
当時、一雄は天心の、つねに不在がちの赤倉山荘に滞在して、自由な生活をしていること |
が多かった。父の血をうけた一雄は文筆に秀れていた。 |
たまたま近くの高田市の友人から薦められて、高田の新聞社などに関係しているうちに、 |
水科孝子を知ったのである。然し天心の令室元子は古い武家の格式を尊び久しくこの結婚を |
認めなかった。それがため一雄と孝子の結姻は随分遅れたが天心の意志により、ほんの親戚 |
二十人ばかり相寄り鶯谷の伊香保でささやかな晩餐会のような披露の宴が催された。 |
その秋天心は、渡米の直前ひそかに、一雄の留守宅の田端の家を訪ね、孝子の手酌で晩餐 |
をうけた。二才になった初孫古志郎をひどく愛撫して、自分の膝もとから離さなかった。帰 |
るとき古志郎の写真を貰ひ懐にして渡航した。永い船中の生活のスーツケースの間から幾度 |
となくこの可憐な孫の写頁をとり出して眺め、更にポストン美術館の天心の室(日本間)の |
筐底の中からもたびたびとりだしてひとり微笑するのであつた。 |
大正二年四月の最後の帰朝に際して、天心は直ちに妻子や孫のいる常陸の五浦に暫く滞在 |
したものの宿痾のために海上に自製の竜王丸を浮ばせて、漁楽にふけることも少く、同志の |
大観、観山、春草、諸氏は既に五浦の日本美術院研究所を去つて、天心は独り眺望雄大な巨 |
岩の上に建造された六角堂に腰を下ろして、もの憂げな表情で漂渺たる太平洋の遠く水平線 |
上にうかぶ、初夏の白雲と、うちよせる白波を、ただ心虚しく、蓼々とうち眺めるのがその |
日その日の日課であった。昨今まで新進奇鋭の有為なる作家と称せられながらそれは一介の |
白晢の画書生に過ぎなかつた。この門下の大観、観山の両氏は文展開設と同時に文展審査員 |
に任命され、当時の一流大家と肩を並べるようになって、この辺鄙な海村にいつまでも閉籠 |
つているわけにいかなかつた。春草は眼疾治療のためと審査員候補者として両氏に劣らぬ名 |
声高く、いづれも五浦に引込んでいるわけにいかなかつた。 |
この五浦の大自然を好んだ天心ではあったが、とりわけ持病に悩んで精神的に沮喪してい |
る天心にとつては、この三氏が一流大家として公に認識された矜特と悦びを深く感じながら |
も、吾家にひとしい五浦の家から見事に巣立つた側近の諸君の姿がなくなつたことは、独り |
とりのこされたような気がしてどんなに寂莫を感じたであろう? |
天心として朝夕六角堂で悠々しづかに煙草をふかしながら、考えることは、まづこの上 |
は、早く身近の所要や、緊切な公用の責任を済まさせて、一刻も早く妙高山敬のすがしく湧 |
きながれる山の大自然に抱ようされて、あの大きな浴槽にたたえる鏡のような透明な青い湯 |
面が目に浮び、更に自らの静養を想い、またいとしい孫古志郎を抱えて泳がせ、きやつきや |
と笑い騒ぐだろうことが念頭にたえなかった。 |
そうして目前に迫る緊急な重要問題を議決すべく上京することになった。可愛孫の古志郎 |
や元子、孝子を残してひとり上京するにしても四月帰朝以来十二指腸虫と宿痾の腎臓の余病 |
疾患のため、さすがの剛気な天心も疲労を覚え心細く惜別の情に堪えがたく更に松籟颯々の |
五浦の天地と暫くの別れにも、どうやらわけもなく感傷を覚えるのであった。 |
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上京した天心は休息する間もなく宿痾の痔核が再発気味のため入院して応急の加療が必至 |
であったにもかかわらず文部省の古社寺保存委員会に天心自から提出した重要なる議題の会 |
議のため無理が続いた。しかも暑さの酷しい八月に入り連日の会議に病弱と疲労にいたく苦 |
しみながらも議事の終了するまで一日も欠かさず列席した。天心の宿所は文部省へ毎日出勤 |
する便宜な場所と親戚同様に実懇な間柄の本郷竜岡町の橋本雅邦の遺族邸から通つていた。 |
永い間の会議が続いたがやがて重要な議題が終了の際、その席上に立つて壮重真摯な態度で |
進言したことは、『法隆寺壁画の保存法』について世界中に尤も秀れた人類文化の唯一の誇 |
りとすべきこの、世界の国宝とも見做すべき重要なる法隆寺の壁画の剥落、磨滅、破損をい |
かに保存するかその補強に関する相当の予算を要求することであった。この委員会の席上、 |
この天心の重大なる提言に対して委員諸氏は悉く賛意を表するとともに改めて天心にその建 |
議案を起書せしめることになつた。天心も欣然としてその建議案の起草を諾了しながら、永 |
い間の病痾と連日酷暑の無理が崇り、またこの建議案まで一任されたため精神的な緊張が溶 |
けたことも原因であつたろう。一時小康を保つた痔核が急にその席上で再発して、ひどく出 |
血を見た。激しき疲労に苦しみながらも隣席の三上参次博士の助力を得て、どうやら建議案 |
の起草を提出して急ぎ橋本邸に帰り、病床に入つたが一時は面会も謝絶の重態に陥つた。し |
かし性来気丈夫な天心の精神力と主治医の懇切な手当により再び旬日にして小康をとりもど |
した。かねてより心待ちにしていた憧れの赤倉行きの臼が漸く決定した。 |
それは八月二十六日ときめられ、看護につとめていた天心の妻元子と、天心の実妹山田て |
ふ子が待望の赤倉へお伴することになつた。その出発の前夜は田端の一雄の小家に泊り病後 |
はじめて少量の芳醇を楽しみつつ一雄夫妻に対して、世界の旅行談や人情話、さては処生訓 |
なども洩し、その一夜は天心父子の生死の運命の暗示と幻想を潜んだ一夜としては、あまり |
にも明るく上機嫌な天心は戯談や諧ぎやくの連発で、平生の気むづかしい凛とした天心とし |
ては、いかにも、うちとけた、ものわかりのいい、しかも心からやさしい親しみ深い一家団 |
欒の、まことに楽しい一夜であった。 |
天心は翌早朝出発に際して、なんとか孫古志郎を伴れて行きたいのであつたが家族の人達 |
は病気治療に行くのが目的でこんなわんぱくな子供をつれて行つてはどうなるかと皆で反対 |
したために、さすがの天心も諦めるよりほかなかつた。 |
天心は一時重患に陥入つたときは、待望の赤倉行きどころでなく、生命に関することも心 |
配したものの、日ならずして小康を得、更に永いこと心に懸つていた重要問題の法隆寺壁画 |
補強の建議案も思うように起草提出されて、まづこの大役を済した責任と安堵感がいかに天 |
心の心を、すがしくしたことか、心にかかる何ものもなく、その頃は未だ樹木の多い森や林 |
につつまれた田端の起伏の多い田園の町を三台の人力車の上に心もちよくゆられつつ初秋に |
近い晩夏の爽かな朝風に吹かれながら上野駅に着いた。 |
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天心と妻の元子、妹のてふ子の三人が閑散な二等車の真申に座席を取つた。その頃の二等 |
室は特殊の人以外に乗る客人も少く、また車体の構造も今日の二人掛け或は特二のような一 |
人掛でもなく車窓に向合いに相添うた長いびろうどの腰掛の中央を占め、天心はまづあぐら |
で窓硝子のニス塗りの板に大きな体をもたれながら上機嫌であった。話上手な彼は元子や |
てふ子と談笑しながらいつしか碓氷峠を通過するころには、妙義山を眺めながら恢復した |
ら、あの山頂に登つて見たいとも洩した。信濃高原の追分駅を通過するころは多少疲れを覚 |
え、横長の腰掛に長々と手足を伸ばして寝た。ともかく車中は、なんのこともなく賑かに明 |
るかつた。天心はただ心にのこつたことは最愛の娘こま子と孫の古志郎を同伴出来なかつた |
ことを車中でも繰返しているのであつた。 |
永い真夏の車中も一二時間眠つたほかいつも、にこにこと微笑しながら、和かな岡倉一家 |
の車中団欒風景であつた。そうして大病後の車中は些少の憂いもなく夕景近く田口駅に着い |
た。人力車もない田舎の小駅とて、駅前の馬車一台雇い、さらに二里余の山坂の径をおもむ |
ろに駆けるのであつた。 |
逆光線に映じた信越五山のうち、とりわけ妙高山はくつきりと目前に迫るように鮮かで馬 |
車の窓から見る高原の叢は秋の七草が乱れ咲き赤い芒の穂波が、さわやかな涼風に靡びいて |
いた。 |
赤倉山荘に着いた天心は蘇つたように車中の疲れもわすれ、山荘の雑木林のすぐうしろに |
聳え立つ妙高山に没する夕陽が金色に反射してその形態が紺紫の大きな山塊となり、薄暮せ |
まる山気冷めたく身に泌みて山霊潜むがごとき山の神秘を見つめ更に脚下遥か群青色の山脈 |
の中央に銀盤が光るような野尻湖を遠望して、ああ来てよかつたと心のうちで幾度となくい |
いながら、この雄大なる景観を讃嘆するのであつた。 |
湯の好きな天心は朝夕いつも心悠々大きな浴漕へたえず流れ充ちている澄みきつた、いで |
湯の中に病後の体をしづかに伸ばしながら、すぐ目前の硝子の窓ごしに、くつきり頭角を現 |
わしている悠久清浄な妙高山の姿を仰ぎ或は白雲去来の移り変る幽韻な山容をあかず眺め楽 |
しみ、夜中小用に起きたときでも便所の小窓から妙高の山姿を眺めることを忘れなかつた。 |
九州に嫁いていた最愛娘こま子が二三日遅れて着いたときには、着替もさせずに、すぐい |
で湯の流れる大浴槽に自から案内して窓ごしに妙高山を見せ讃えるのであつた。 |
温泉にはいらぬときは、いつも大きな居炉裡のある室で、元子、てふ子、こま子と一緒に |
お茶をすすり歓談を楽しみながら戸障子があけ放された室の内までそよそよした初秋の山風 |
が吹きこみ冷え冷えとした肌さわりの感覚がこよなく爽かに感じて山居のよさをしみじみ味 |
得するのであつた。 |
あけ放された部屋から下に続いた雄大なる裾野の高原とその向うに、見はるかす袴山を始 |
め重畳たる古い山脈の一角に米山も手にとるように眺める、中秋頃の澄みきつた朝などは日 |
本海の海洋に浮ぶ白帆や佐渡の金北山もかすかに海上に浮ぶを見る、ともかく岡倉一家は、 |
幸福に充ちたなごやかな山居の団欒生活を心から楽しんでいたのであつた。 |
天心が山荘に入り、まことに一家なごやかな山の生活を楽しみつつあつた四日目の夜、突 |
然不測の発作が起り異様な深刻な苦しみを重ねた。そうして、てふ子は万一を気にして持参 |
したジキタリスの葉を噛んで、てふ子自ら口移しに天心の口中へ注入した。そのときの苦し |
みが余程激しかつたと見えて、我慢の強い天心も『人間の死といふものはこんなに苦しいも |
のなりや」と痛々しく叫んだということである。さてこの雄大なる大自然裡の温泉郷も人間 |
の生死という一大事が起きたときには全く無力にひとしかつた。無医村にひとしい山の生活 |
は、ただ岡倉一家にとつてはひどく不安を感じ混迷するのみであつた。 |
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