富山の文化的風土7 - 娘・和子が受け継ぐ、父・千靱の郷土愛  
     
 

 「父に親孝行が出来ました」

 
   平成14(2002)1123日、小杉町(当時)の名誉町民に推挙された日本画家・  
  郷倉和子は、その式典でこう語った。それ以前に名誉町民の称号を得ていたの  
  は、小杉町長、富山県議会議長等を歴任した片口安太郎とゼンセン同盟会長を務  
  めた労働運動家・滝田実という、ともに小杉町出身で、名実ともに縁深い人物。  
  それに比べ、郷倉和子と小杉町との関係は、父・千靱の郷里であるとは言うもの  
  の、自身は東京生まれの東京育ちで、地縁も人間関係もそれほど親密なものはな  
  いという。そんな彼女が、同町から名誉町民の話がもたらされた時、まず意識し  
  たのが、父・千靱への思いであり、様々な意味でその意志を受け継いできた自身  
  のあり様なのだろう。  
 

 当時の町長・土井由三氏は、郷倉和子の名誉町民推挙についてこう語る。

 
   「本来なら、郷倉千靱さんに受けていただくのが当然だったんでしょうが、千  
  靱さんに関しては、その機会を逸してしまっていました。そこで、父上同様、日  
  本画家として高い評価を受け、日本芸術院会員である和子さんに、縁のひととし  
  て名誉町民を受けていただきたいと考えたわけです。そうして、東京のご自宅に  
  伺ったところ、私達が想像していた以上に喜んでいただいた。父親を通じて小杉  
  町の方々に認められて嬉しいです、と。さらに、推挙式前に、和子さんが文化功  
  労者に選ばれたことで、名誉町民にさらに花を添え、町民の注目を集めることに  
  もなりました」  
   しかし、土井氏は、ただ単に郷倉千靱を顕彰し損ねていたという思いだけで、  
  その娘である和子を名誉町民に推したわけではないだろう。むしろ、町長という  
  立場からすれば、時の日本芸術院会員(文化功労者)との関係を深め、それを通し  
  てかつての地元出身の巨匠にスポットを当てることで、町民への文化振興と郷土  
  文化の発掘と再考に繋げようという意図が強くあったといえる。土井氏は町長時  
  代、国の登録有形文化財となった旧小杉銀行の建物を町民展示室として、土地の  
  歴史的文化財や町民の作品の展示を行なったり、旧小杉町役場庁舎を地元で活躍  
  した、鏝を用いて建築に装飾を施す鏝絵の名人である左官職人、竹内源造  
  (1815~1942)の記念館にしたりと、地元の歴史的文化の顕彰に力を入れてきた。  
  その一貫として、地元出身の郷倉千靭を如何に小杉町が生み出した文化人として  
  顕彰し、歴史文化として定着させていくかということが、課題としてあった。住  
  民や地元出身者の郷土意識を高めるために、芸術・文化というものは大きな役割  
  を果す。事実、小杉町の住民の多くが、千靱の作品を所有し、地元出身の巨匠と  
  して親しみを持っているという。その長女が名誉町民となり、縁を深めること  
  で、新たな郷土文化の芽生えがあるかもしれない。郷里愛とは、単に生まれ育っ  
  た場所を跳び越して、深く精神的に繋がるものなのかもしれない。  
  ところで、小杉町は2005年の町村合併で射水市となり、小杉町名誉町民も射水市  
  名誉市民となった。しかし、旧小杉町のそれは、あくまで小杉の歴史的遺産を継  
  承するものとして、これからも地元独自の研究・普及活動が期待されている。  
     
 

(藤田一人・美術ジャーナリスト)

 
 

第7回「富山の文化的風土」2007年11月21日発行

 
     
     
     
 
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