富山の文化的風土 9 - 郷倉千靱とアメリカA 生きた宗教体験  
     
   郷倉千靱はアメリカから帰国後二年ほどして、同国での一年半にわたる様々な体験と  
  思索を著書「北米ローマンス」(東洋書籍出版協会刊)に綴っている。同書によると、  
  千靱の旅路は、横浜港から天洋丸という船で太平洋を渡り、ハワイを経由してサンフラ  
  ンシスコに入港。西海岸の諸都市にしばらく滞在した後にアメリカ大陸を横断。ソルト  
  レークシティ、シカゴ等を経てニューヨークに至る。その間、経済的に困ったこともな  
  く、まずは英語の勉強に励みつつ、むしろゆったりとアメリカの風土や社会を観察し、  
  日本と比較しつつその意味を考え、より身近に肌で感じようと努めている。そこでは、  
  アメリカの美術館や美術状況への関心は勿論だが、それにも増して、日本人移民の実情  
  や貧富の格差をはじめとするアメリカ社会の光と影、さらにはデモクラシー(民主主  
  義)の真価という問題まで、アメリカで目の当たりにした様々な事柄に眼が向けられて  
  いる。  
   そのなかでも千靱の心を惹き付けたのが、アメリカにおける宗教の影響力と存在感の  
  大きさ。ピューリタンやカトリックそれに新興のモルモン宗といったキリスト教は勿論  
  仏教でも、日系移民の生活を通して、日本人一般をはるかに凌ぐ強く深い信仰心に感銘  
  すら受けるのだ。そのエピソードの一つが、著書で「西洋小舎の佛壇」と題して綴られ  
  ている。  
   千靱はアメリカと渡航の船で、日本人移民への布教のためにサンフランシスコの東本  
  願寺出張所に赴任する僧侶・開教師と知り合ったという。そして、当地に到着して一・  
  二ヶ月した或る日、開教師を訪ねると、「これから信者のところ行くのだが、一緒にど  
  うか」と誘われ、同行することになった。しかし、そこは都市部からはかなり離れた奥  
  地。大きなボートに乗って河を遡り、さらに四里も歩いて、ようやく辿り着いたのが夕  
  方。まさに、大自然のなかの開拓地で、小さなペンキ塗りの三角屋根の家二軒に、日系  
  移民の老夫婦と息子二人の家族、そして同じく日系移民の雇い人十二・三人が暮らして  
  いた。そこで開教師と千靱は老夫婦に夕食をご馳走になり、食後に説教が始まる。  
   「食後早速、開教師はむさ苦しい小舎の一隅に正座した、そして小さな仏壇が安置さ  
  れてある事を始めて知った時、何とも云ひぬ感銘を与えられた、やがて氏は徐に仏壇の  
  戸扉を開いて其の内から御教の本を取り出して、悠々朗々と二十分余も仏書を誦した、  
  氏の後方には老夫妻を始め十幾人の傭人迄ずらりと正座して南無阿弥陀仏を繰り返して  
  いる」  
   そんな光景を見た千靱は、これまでにない崇高なる信仰の力というものを感じる。そ  
  れは理屈ではない、まさに生きた宗教というべきものだった。  
   「今迄現在の宗教をあまりに軽視していた事がなんだか底怖しいように、またこの因  
  循に一面が却って有難く、何とも云えぬ法悦の念がむらむらと、この貧弱な小さな自分  
  を囲撓した、(略)兎に角心の底から無意識的にでも要求している彼等の信仰は、彼等  
  の人事に於いて一つの強い法悦を感じているに相違ないと思ふ、寧ろ彼等の無智を無限  
  の幸福と考えられた」  
   宗教とは無条件で“いま”に生きる人々を受け入れ、生かすものでなければならない  
  そんな思いを、千靱は厳しくも躍動的な移民の国・アメリカで実感した。そしてそれが  
  後年、彼の宗教観と宗教画に大きな影響を及ぼすことになったのかもしれない。  
     
     
 

(藤田一人・美術ジャーナリスト)

 
 

第9回「富山の文化的風土」2008年3月21日発行

 
     
     
     
 
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